碩学ジャン・ピアジェ

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ジャン・ピアジェは、スイス出身の学者でありながら、自国よりもむしろ海外、とりわけ英語圏で世界的な名声を得ています。その名が広く知られているのは、主に児童心理学における独創的な研究成果によるものです。しかし、皮肉なことに、彼は本来、心理学者ではありません。自身のことを「発生的認識論学者(genetic epistemologist)」と呼んでいたように、彼の関心の中心は、心理学ではなく、知識の発達過程にあったのです。

ピアジェは生物学者として学問の道を歩み始め、その後、認識論(知識の本質や起源を問う哲学)に強い関心を抱くようになりました。心理学者としての顔は、あくまで副次的なものであると言っても過言ではありません。しかし、世界的に彼の名を不動のものとしたのは、紛れもなく心理学、とりわけ子どもの思考の発達に関する膨大な研究でした。

ピアジェは自身の3人の子ども──長女ジャクリーヌ、次女リュシエンヌ、長男ローラン──を対象に、彼らの思考と認知の発達を詳細に観察し、画期的な研究成果を築きました。彼の観察は乳児期から青年期にいたるまで多岐にわたり、心理学界に新たな探究領域を切り開いたのです。彼の研究をもとに多くの追試や検証がなされ、中には批判的なものもありましたが、どの立場に立つ研究者も彼の功績に敬意を表し、しばしば畏敬の念すら示しています。

ピアジェの理論は、知能を「行為の内面化」として捉え、精神の発達を「自己調整的構造の不断の進化」と見なします。この構造は、主体(子ども)と環境との相互作用によって形成され、同時にその相互作用によって常に変容し続ける、動的で双方向的な体系です。

こうした理論的構想は、心理学の枠を超え、教育実践にも強い影響を与えました。ピアジェの発達理論に基づいて、学校教育のカリキュラムや教室での学習環境の再設計が提案されてきました。彼の理論は、子どもの自発性や探索活動への信頼を基盤とし、抽象的な文字学習に偏るのではなく、具体的な活動や問題解決の場を重視すべきであると説いています。

このような学術的・実践的貢献によって、ピアジェはアメリカ心理学会(APA)から「科学功績賞(Distinguished Scientific Contribution Award)」を授与されました。ヨーロッパ出身者として初の受賞者であり、その功績は「心理学文献において比類なく、永遠に記念されるべきモニュメントである」と称されました。

ただし、ピアジェの名声が心理学に偏っている一方で、彼の本来の専門分野である生物学や哲学の領域では、必ずしも同様に受け入れられていません。中には彼の著作をほとんど読もうともしない学者も存在します。もちろん例外もあり、ピアジェを高く評価する哲学者や生物学者もいますが、彼の業績が哲学的・生物学的文脈で正当に理解されていないことも少なくありません。

実際、ピアジェは心理学者としてスタートしたわけではなく、生物学者として本格的な学術訓練を受けました。1918年、軟体動物の研究によって博士号を取得する以前、彼は11歳にして白子のスズメを発見し、その報告を初めての学術論文として発表しています。10代のころにはすでにヌーシャテル自然史博物館の館員となり、淡水産のモノアラガイを対象に環境適応の実験記録を次々に公刊していました。

彼は当時支配的だった「メンデリズム」(偶然の遺伝的突然変異による進化)に異議を唱え、生物の構造は後天的に変化しうるものであり、それを可能にする適応的構造の発達こそが進化の原動力であると主張しました。この考え方は後に、心理学的な理論に転化されていきます。すなわち、生物の進化における「構造の変化」という概念が、子どもの認知発達における「スキーマの変容」へとつながっていくのです。

ピアジェの哲学的関心もまた、若い頃から明確でした。ラエリクス・ル・ダンテックやベルクソン、サバチエといった思想家たちの影響を受け、「あらゆる事物、とりわけ心の働きを生物学に基づいて説明したい」と願った彼は、生涯を哲学に捧げる決意を固め、倫理学と論理学に関する文献を貪るように読み漁りました。彼の最初の著作は第一次世界大戦中に書かれた哲学的エッセイであり、科学・社会主義・キリスト教の調和を予見するという大胆なビジョンを示していました。

心理学に本格的に取り組み始めたのは、1919年以降のことです。博士号取得後、彼はチューリヒやパリの心理学研究所で精神分析や臨床心理学を学びました。1920年、心理学者アルフレッド・ビネーの共同研究者であるシモン博士から、知能検査の標準化作業を依頼されたことが、彼の人生を大きく変えます。ピアジェは、この作業中に「子どもの誤答には単なる無知ではなく、独自の思考構造が反映されている」と気づき、大きな衝撃を受けました。

生物学の原理に、「個体発生は系統発生の鍵を握る」というものがあります。ピアジェはこの視点から、子どもの思考過程を探ることで、人間の知性そのものの発達に迫ることができると考えたのです。「心理学は知性の発生学である」──これは彼の信念となり、後の「発生的認識論」へと結実します。

彼の研究の背景には、J.M.ボールドウィンやフロイトの影響も見逃せません。ボールドウィンは「発生的認識論」という語を初めて用いた人物であり、フロイトは発達の重要性と、目に見える行動の背後にある構造への洞察をピアジェに与えました。

ピアジェは当初、心理学の研究には5年もあれば十分だと考えていましたが、実際にはその探求は40年を超える長きにわたって続くこととなりました──それは、知の進化そのものを追い求める、果てしない旅だったのです。





ピアジェの発達理論に基づく子どもの思考の変化と学びの仕方

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子どもは生まれながらにして、外界の情報を受け取り、取り込もうとする力を持っています。ピアジェの発達理論では、こうした子どもの知的な成長は、「スキーマ」と呼ばれる内的な枠組みの形成とその変容を通じて進んでいくとされています。スキーマとは、簡単に言えば「ものごとを理解し、整理するための頭の中のルールや型」のようなものです。

子どもは、身の回りのものや出来事に関心を持ち、自分なりの方法でそれを理解しようとします。そして、それがうまくいかないときには、自分の持つスキーマを見直したり、修正したりして、より複雑な理解へとつなげていきます。このような働きは、「同化」と「調節」という二つの過程を通じて行われます。

たとえば、小さな子どもが初めて犬を見たとき、「動いている」「毛がある」などの特徴をもとに、それを「動物」というスキーマに当てはめて理解します(これが「同化」です)。しかし、同じように動いて毛があっても猫は犬とは違うと気づいたとき、子どもは自分のスキーマを修正し、「犬」と「猫」を区別できるようになります(これが「調節」です)。

このように、子どもは自分の内的な枠組みと外界の情報との間で、絶えず調整を行いながら、より洗練された理解を築いていきます。こうした働きは「均衡化」と呼ばれ、学びの本質に関わる非常に重要な概念です。子どもは、慣れ親しんだスキーマで理解できない出来事に出会うと、一時的に混乱や不安(不均衡)を感じますが、それを乗り越えることで、より高次の思考が可能となります。

この視点から考えると、学習とは単なる知識の詰め込みではなく、子どもが自らの思考を柔軟に変化させ、新たな見方を獲得していく過程であるといえます。教師や大人の役割は、子どもがそうした思考のプロセスをたどる際に、自ら気づき、考えることができるような環境や問いを提供することです。



学習における発達とは、外から与えられる知識やスキルをただ受け取るのではなく、自らの思考でそれを取り込み、再構成していく営みです。その意味で、子どもは学びの「受け手」ではなく、「主体」として成長していく存在なのです。





技術経営の手帳 · 技術の統治と人間の統治

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技術(technology)は、人類に様々な可能性を与えてきた。その範囲と影響力の大きさは限度がなくなりつつあるようにみえる。

しかし、技術は自らの意思を持つわけでも、それ自体で成長したりすることもできない。技術は統治することもできる存在である。

技術が人類によって統治可能だからといって、その統治を行えるというわけではない。

技術は、そもそも知識である。知識は人間と切り離して存在することはできない。

そして、技術は科学とは異なる。技術はあくまで科学知識を人間の特定の目的のために再構築したものである。

故に、技術は二重の意味で人間社会から切り離すことができない存在である。

このように人間と切り離すことができないという性質から技術は統治が困難になっている。人間は不可思議の塊で、さらにその人間が複数人集まれば週癌・社会が形成される。

人間一人でも予測や統治が難しいが、社会という単位になるともはや統治は部分的にしかできない。完全に人間や社会を統治するという幻想を持つのが全体主義である。

統治の対象が人間・社会であれば、部分的にでも統治できているのであるから問題ないが、技術は完全統治できなければ問題が生じる。

なぜなら、技術は一粒でも取りこぼせば社会全体、人類の命運を途絶えさせるような力を持っているからである。

技術を統治することは今後、人類の歴史を永らえさせるために構築せねばならない知識なのだ。



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